なにか書きたい。

30代になっても自由に、思いのままに、なにか書いています。

誠実さ・真摯さを大切にしたい。

 

 

最近、社会で生きる上で、特に人と関わりながら働く上で「誠実さ」や「真摯さ」がいかに重要かを痛感するようになった。

 

私は2018年からWebライターの仕事をしてきて、最初の頃はhow to記事のようなものを、最近は営業の人がインタビューしてきてくれた音源を聞いてインタビュー記事を作成している。

最近よく感じるのは、そのインタビュー記事一つとっても、インタビューを受けた人の人柄だけでなく、記事を書いているライターの人柄もめちゃくちゃ出るんだということ。

 

ライターの人柄は、例えば以下のような部分で出る。

 

・インタビューされた人の話をどれくらい性根を入れて聞いているか

・その内容をどれくらい理解しているか

・一つひとつの言葉やエピソードの深いところでの意味や、その人の信念・考え方をどれくらい理解しているか

・それをどう表現するか

 

この仕事をするまでは、インタビュー記事というのは漠然と「インタビューした内容そのままが記事になるのだろう」と思っていたけど、実際には、インタビュー内容にはカットしなきゃいけない部分や要約しなきゃいけない部分、喋りではうまく表現できていない想いを文章で表現し直さなきゃいけない部分などがある。

 

同じエピソードでも、聞く人によっては「カットしてもいい他愛もない話」だったり「超重要な信念の部分」だったりする。つまり、書く人によって記事内容がまったく違ってきてしまうということだ。

 

 

私が書かせてもらっているのは設計士さんや建築家さんのインタビュー記事なので、建築の専門的な話をする人もいれば、抽象的で芸術家のような話をする人もいる。

 

抽象的な話なんかは「…ちと、よく意味わからん」でカットしてしまえばそこまでだけど、実はその建築家さんの信念に関わる部分だったりして、その信念が建築のあらゆるところに表現されていることもある。

 

確かに「よくわからん話」をカットしても、その他の話で記事を完成させることは十分にできる。

 

でも、その人のこだわりや考え、想いがその「よくわからん話=信念」があってこそ派生しているものだとしたら。

その部分をカットしてしまうと、根っこのない状態、もっといくとペラペラな状態で紹介されることになってしまう。

  

 

インタビュー記事は、アップする前に必ず建築家さんのチェックが入る。

その人の話がちょっと違うニュアンスで捉えられ、記事になっていたら「自分の言いたいことはそうじゃない」となる。

 

人によっては「若干違うけど、まあいいか」とOKを出してくれることもたくさんあると思うけど、「記事を修正しようと試みたけど、大変だし、そんな時間もないし、今回は掲載を辞退したい」と連絡してきた人もいた。

 

自分ならどうだろう。

 

自分なりの信念を持って、一生懸命考え、悩みながら仕事をしている。

それを紹介してくれるということでインタビューを受け、「そうじゃない」という記事が出来上がったのを見たら。どう思うだろう。

 

すごく残念に思うと思う。

「ああ、あの話では伝わらなかったんだな」

「私の信念、こういうことじゃないんだけどな」

「こんなふうに捉えられちゃったのかぁ…」って。

 

そうじゃないんだよな〜と思わせるだけならまだしも、内容によっては自分の大切にしているものをぞんざいに扱われたような、すごく心にザラッとした感じを受けるかもしれない。

 

「信念」や「想い」は、その人自身を表しているようなもの。

その人の人生そのもののようなもの。

 

そんな繊細な題材を扱うのだから、扱う側も心を尽くさないといけない。

心がなければ、その人に代わって表現することなんて到底できない。

 

 

最近は音声を聞いていて、インタビュアーさんの人柄もひしひしと感じるようになってきた。

 

相手を尊重して、相手が持っているものをちゃんと引き出そうとしているかどうか。その前に、ちゃんと真摯に話を聞こうとしているかどうか。

 

その人に「驕り」や「誤魔化し」のようなものがあれば、それがすぐに会話ににじみ出てしまう。

 

いきなりめちゃくちゃ具体的な話になっちゃうけど、

 

「自分、手慣れてます!」

「自分、こんなことだってこんなに自然に聞けちゃいます!」

 

みたいな「自分自分!✨」な感じで人と会話するのはやめてほしい💢

すごく失礼!相手も自分も軽んじてるよね?💢

  

本当にいいものをつくろう、引き出そうとしている人は、そんなところに興味はない。

だいたい「本物」や「大物」な人たちは、そんなところで自分を見てもらおうとしたり、自分がどんなに素晴らしいかを他者へアピールしたりしない。

 

ほんと、お願いします。

どうか、お願いします!

 

 

会社としていいものをつくろうと考えたとき、

チームの一人ひとりが本当に重要だということがよくわかる。

 

どんなに決まりをつくっても、どんなに「こうしてほしい」とお願いしても、その人の「働き」は最終的にはその人の「人柄」にかかっているからだ。

 

その人の根っこに「誠実さ・真摯さ」があるかどうか。

それによって枝葉となる、表に出てくる部分が決まる。

 

仕事への姿勢

人と相対するときの姿勢

発する言葉、雰囲気、態度や仕草

全部。全部に出てくる。

 

自分を実際より良く見せること、舐められないように(?)誇大して見せること。

そんなものは本当にくだらない。必要ない。意味がない。

 

結局、全部明らかになるからだよ。

そんなことしなくたって大丈夫なんだよ。

 

 

誠実さ・真摯さを軽視する人たちには、大切に扱われ想いを込めて書かれた記事も、その他の記事と大した違いはないと思えるかもしれない。

 

私は「そう思われているな」と今でもめちゃくちゃ感じている。笑

去年は自分の良さをまったく自覚していなかったために、実に厳しく辛い1年だった。

 

でも今はよくわかる。

 

心を尽くされたものは、その他のものと大きな違いがあること。

その差は時が経つにつれて歴然としてくるものだということ。

それが本来、この世の法則だということ。

  

誠実に真摯に生きていても見向きもされないと感じるとき「自分のやっていることって傍から見ると無駄なことなんだろうか」「余計なことなんだろうか」と思ってしまうかもしれない。

 

でもそんなことは絶対にない。その心があるから救われている人もたくさんいるはず。救われている物事もたくさんあるはず。その心すべてが自分に還ってきているはず。

 

私は今年、この信念でいこうと思う。

今までは「これはどうですか?」「こう思うんですけど…」「違いますかね?」みたいな弱々しい感じで生きてたけど、なんかいろいろ自覚した今は「私はこうです!」みたいなハッキリした感じで生きられているように思う。

 

今年はちゃんと自分を信じてあげて、自分と心を同じとする人にたくさん出会っていきたいと思う。