なにか書きたい。

30代になっても自由に、思いのままに、なにか書いています。

術後の父。2

 

いきなり胸が痛いと言い出し、病院に運ばれた父。

急性大動脈解離と診断され、緊急手術を受けました。

 

そのときお医者さんからは、早くて1週間で退院できるでしょうと言われていました。

去年足を折ったときは2ヶ月近く入院していたので、そんなに軽く済むのか…!なんて思っていました。

 

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せん妄について調べる

 

せん妄

意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚や錯覚が見られるような状態。

健康な人でも寝ている人を強引に起こすと同じ症状を起こす。

ICUやCCUで管理されている患者によく起こる。 

Wikipediaより

 

帰宅した私はせん妄について調べまくった。

出てくるのは病院のホームページが多く、すぐに論文のPDFに当たってしまう。

どれもまんべんなく読んでいったけど、もっとYahoo知恵袋とかブログ記事とか、経験者の話がたくさん見つかると思っていた私はやきもきしてしまった。

 

せん妄はどうやら70代〜とか、お年寄りの方に出ることが多いみたいで、60手前の父がなるなんてやっぱちょっとおかしいのかな…とか、認知障害が出るとも書いてあるけど、救急車で運ばれたことや手術のことを覚えていないだけで、あんな認知症みたいになることはあるのかな…とか、調べても調べても不安は拭えなかった。

 

一番読んで安心したのが、上で引用したWikipediaの文面。

寝ている人を強引に起こすと同じ症状を起こす

うん、確かに寝ぼけてるような感じだった!

そう、きっとまだ麻酔が抜けきってなかったんだ!…多分!泣

 

 

術後2日目 急変

 

この日も私は予定があり、お昼には浅草にいた。

せん妄は毎日家族と話すとどんどん良くなっていくらしい。

夜の面会に行けたら行こう。母もいるし大丈夫だよね。

 

とてもいい天気で暑く、賑わう通りを観光のお客さんと一緒になって歩いていた。

心も、眺めている情景も穏やかだった。穏やかだったのに。

 

「ちょっと今、病院から連絡が入って。急変した、すぐに来てくれっていうから行ってくる。なっちゃん、陸に電話してもらえる?」

 

母から電話が入った。

わかった、と言ってすぐに電話を切った。

 

えっ、急変?急変って?

あの医療ドラマでよく見るやつ?

危ないやつ?死にそうってこと???

 

すぐにまた掛け直した。

 

「陸もすぐ駆けつけたほうがいいんだよね?危ないんだよね?」

「うん…でもそこは2人に任せるわ、」

 

全身から血の気が引いた。

母は滅多なことではこんなふうに言わない。

いつも「そちらを優先してね」の人だ。

 

うそ、どうしよう、どうしよう、、

 

昨日の父の状態を見て、弟に知らせなくていいのかなと過ったことを思い出した。やっぱり知らせておくべきだった、いきなりこんな、、いきなり死んだら、、、

 

すぐに電話をかけた。出ない。

弟は反応が遅いこともよくある。

 

「陸、ちょっと父がやばいかも、、」とLINEした。

もう一度電話をかけた。出ない。

 

わいわいと活気のある街を顔面蒼白になりながら駅に向かって早歩きした。

 

ねえ、死ぬの?もういくの?

…まだいくな、おい父、まだいくなよ、、!

 

本気で呼びかけた。こんなことははじめてだった。

頭の別のところが(なんか男みたいだな、)と言った。

 

電話が入った。弟だった。

 

「どうした!?」

「あのね…父、おとといいきなり苦しみ出して…救急車で運ばれて…緊急手術したの。大丈夫って言われてたんだけど、さっき急変したって連絡がきて…」

 

「そうか、わかった、すぐ行くから。家の近く?」

「うん…」

 

すごく心がほっとしたのを感じた。陸も来てくれる。

そうだうちには立派な弟もいるんだった、みたいな気持ちになった。

 

地下鉄に飛び乗った。

 

車内で弟に病状や病院名などをLINEした。

弟は新入社員の講習会に出ていたみたいで、そこから抜けてくるという話だった。

電話口では取り乱すこともなく、どちらかというと明るい声だったので、やっぱり私たちは父とはいろいろあったし、ここでお別れでも仕方ないと、弟は割り切れているのかもしれないなと思った。

 

地元駅に着いて走っていると、母から電話が入った。

 

「いったん落ち着いたみたい」

「はっ・・・よかった、、、」

 

「どうしよう、またすごい時間待つだけかもしれないし、2人とも用事を優先しても…」

いつもの母だ、、よかった、、笑

 

「でもまたいつ急変するかわからないよね」

「まあ…そうだよね…」

「とりあえず私は行くよ、陸にも電話しておくね」

「うん、すまんな、」

 

弟に連絡してみると、戻れる心境じゃとてもないそうで、とりあえず向かうとのこと。

病院に到着した私はすぐに弟を駅まで迎えに行った。

車に乗り込んだ弟はびっくりするほど辛そうにしていて、「生きた心地がしなかった」と言っていた。何だかんだいっていつも父は恵まれてるよな、と思った。

 

 

急変のその後

 

前日に少しだけ頭を起こすリハビリを始めた父は、その日、人工呼吸器を外すリハビリに進んだらしい。しかし、思ったよりも呼吸が浅く、その後急激にバイタルが下がってしまったそう。

 

そこで一度開胸して、電気ショックで蘇生。(ここ、死にかけてる)

 

バイタルを下げてしまった原因が血管の中にあるのかどうか調べるためにカテーテル検査をして、特に異常がなかったため、また胸は閉じられたらしい。

 

長い長い待ち時間のあと、おととい「フォアグラだね」と言った先生が、集まった家族3人に向かって説明してくれた。いつ死ぬかわからない状態だと思いながら深刻な顔で聞いていたら、先生が説明し終わって一呼吸おいたあと、すぐ隣にいた私に「お父さん、もしかして痛みに弱い?」と聞いてきた。

 

一瞬(へっ…?)と思ったが、いつもの父を思い浮かべ即、

「めっちゃ痛がりです、すぐ痛い痛い言います!!」

と述べると、先生は笑って

「そうか、そうかな〜と思ったんだ、何も異常がないから。きっと胸の傷が痛い、痛い…って、どんどん呼吸が浅くなっちゃったんでしょう」

 

あは、と思わず笑ってしまった。

そんな、痛がりで呼吸が浅くなって死にかけるって、ある?

どんな天災があっても、事故に遭っても、刺されても殴られても死ななそうだよね〜!平成おめでた男だね!と家族から言われていた父らしすぎる。笑

 

先生の説明を聞いたあと、ICUで父の顔を見て、その日は帰ることになった。

ベッド横に置かれた大きな機械を見て母が「これは何ですか?」と看護師さんに聞くと「人工心肺です」と言っていた。

そのときは特に何も思わなかったけど、帰宅してしばらくして(心臓も肺も機械でかろうじて動いているということ…?)と思い当たるとまた怖くなった。

 

 

死生観などの変化

 

長い待ち時間を家族控室で過ごしているとき、母と弟が話している横で私は何も聞く気になれなかった。父はこのまま死んでしまうかもしれない。

そしたら私は昨日、呆けたようになった父の手をやっとのことで握ったんだけど、あれが最後だ。もっと言えば、ちゃんと意識があった父と会話したのは大学病院が最後だ。

気分が悪くなって退室してしまったし、別の救急車に乗せられたときも、会話したのは母とだけで、父に声を掛けることもなかった。あんなのが最後だ……

 

ものすごい後悔と申し訳なさでいっぱいになった。

 

私はもともと、生きているということも、死んでしまうということも、大きな世界に還っていってまた戻ってくる、の繰り返しなんだ、生も死も一緒だ、死を悲しむことはないんだ、そういう死生観のもと生きてきた。

 

この世でどんなにわかりあえなくたって、死んだ瞬間にすべてがお見通しになって、「ごめんね、あんなこと言うつもりはなかったんだよ…」と悲しむ遺族の気持ちも全部全部わかってくれるんだ、きっとそうだ、と思っていた。

 

だからあまり死を恐れてはいなかったし、自分が死ぬことだって大切な人が死ぬことよりも全く怖くなかった。しかしいざ父が死ぬとなると怖かった。ものすごく後悔した。

 

長年毒親だった父。でもここ数年で憑き物が取れたみたいになって、人の気持ちなんて全く考えられなかったのに、キレなくもなったし、私が嫌がるからといろんなことを気をつけてくれるようになった。

 

それに、根はとっても穏やかだし、家族を大事にする人だ。

経済的にも全面的にお世話してくれる人だ。

 

毒が抜けた父は、ただの良い父だったんじゃないのか?

本当はもっと大事にされていい父だったんじゃないのか?

 

ただ、美的感覚も私たちとはかけ離れていたため、部屋は物で溢れかえり、服もよれよれしたものばかり。人が見てないとすぐ汚いことするし、それで全然OK。性格もそういう汚さがあったし、それがまだまったく相容れないところで、大嫌いなところでもあった。

それはなかなか改善せず、あんまり言うとキレる可能性もあったので、生まれ持った価値観だからね…と母も私も諦めかけていた。

 

でもダメだ、もっとちゃんと言うべきだった。

 

最近は私の言うことならうんうんと素直に聞いてくれてたんだから、もっと努力して向き合って、どんなにキレられぶつかり合おうが、キレイな部屋で暮らしてもらって、素敵な服を着てもらって、いつも穏やかで素敵な父だったな、と私たち家族に思ってもらえる父にしてあげなきゃいけなかった。

悪くはないけどあんまり近寄りたくない、みたいな存在のまま死ぬなんて、立派にやってきてくれた父の人生としてあまりに惨めな気がした。申し訳なかった。

 

こうやって書き起こすと、ものすごい上から目線っていうか…

こちらの価値観を押し付けているだけのようにも感じるけど…笑

 

父は自分ではまったく気づかないところがあるので、「こうしてくれたらキレイで好きなんだ」とか、「これはこうだから汚くて私たちは嫌なんだよね、」みたいに一つ一つ伝えるべきだったということ。それらをあまり関わりたくないからって放置してきたことを後悔したんだよね。なぜかすごく。「大好きな父」で終えてほしかったというか。

 

 

ともあれ、よく聞く「会いたいと思う人には会っておくこと」というのは、本当にそうだと思った。その人が死んでも、思いは届くんだからと思っていたけど、きっとそれはその通りなんだろうけど、この世に残る私が後悔するんだ。いつまでも。

 

人はいつ死ぬかわからない。

会いたいときは会う。伝えたいことは伝える。

それもいつかじゃなくて、今。

 

これはとてもとても大事なことだと思った。