なにか書きたい。

30代になっても自由に、思いのままに、なにか書いています。

幼き日のスーパーでの記憶。

 

私は幼いころ「〜しなさい」と母に言われた記憶がない。

そのことを物心ついたころ母に話すと「『〜しなさい』は使わないようにしてた」と言っていた。「しなさいって何だよ、命令かよ、」と思っていたからだそうだ。

 

なるほど、母らしい。

私は母のそういうところがとても好きだし、尊敬している。

 

 

まだ弟が生まれる前、よく母とスーパーに行った。

幼い私にとって、買い物はそんなに魅力的ではなかった。

 

 

精肉コーナーの鶏もも肉がパックされたあの感じ。あれが大好きだった。

ツルツルでぷにぷにしていてちょっぴり冷たくて、私はあれをつんつんするのがスーパーでの楽しみだった。

 

その日も変わらずぷにぷに触っていたら、母がそれを見つけて言った。

なっちゃん、お肉、触らないでちょうだい、」

 

ガーーン!である。

この指はこんなにもぷにぷにを求めているのに。

 

「なんで‥?」私は聞いた。

 

母はさらっと言った。「今日はそのお肉、買わないから。他の人が買おうと思ったとき、なっちゃんがぷにぷにしたお肉じゃ嫌でしょ?…だからこれは、買わないとね!」

 

(…そっかぁ…!)

 

その日から、私の大好きなパックされた鶏もも肉は、母が買い物かごに入れてからのつんつんとなった。ただ、それはたまにあるかないかなので、大概はぷにぷにしたい指が伸びていきそうになるのを(他の人が嫌だよ!)と制御しながら精肉コーナーを通過することになった。

 

そしていつの間にか私の興味はパックされた鶏もも肉から、可愛いネックレス付きの細長い筒のお菓子などにシフトされた。お菓子コーナーでそれらを物色したあと、売り場をぐるりと見て歩いて、買い物をしている母を見つける。そして「これが欲しい」と申告するのだ。

 

母はたまに買ってくれる日もあれば、「えー、でもさ、すぐに飽きちゃうかもよ」と言う日もあった。そう言われて手に持っているお菓子をよく眺めてみると、(確かに飽きちゃいそうだな、)なんて思うこともよくあった。そんなときは走ってお菓子コーナーに戻り、(またいつか、な!)という感じで陳列棚にそっと戻すのだった。

 

 

母の「なっちゃん可愛かったエピソード」にはこんなものがある。

 

母が噛もうとしたクールミントガムを「くれ、くれ」と言うのだそうだ。

「辛いよ?辛いけど、欲しいの?」と何度も確認したが「うんうん」と言う。

「じゃああげよう、でも絶対にペしちゃダメだよ?」「うんうん」

 

あげてみたらそれはそれは嬉しそうに口に入れたのに、あっという間に目をしろしろさせた、というエピソード。すっごく笑ったそうだ。確かに可愛い。そんなん、私の娘だったら悶絶するじゃないかよ。

 

「(はーからい!…でもペしちゃダメだし…)とか思ったんだろう」と笑う母。

私はそんな話を聞きながら、私もこんな風に子供と接したいなと強く思う。

 

 

子供ってとっても賢い。

とっても繊細で、まっさらで、私たちが思っている以上にありのままをありのままに受け止めているんだろう。それは大人の言葉も、その言葉に含まれているニュアンスも、本心では何を思っているのかも、いろいろ、全部だ。

 

その生まれたまんまの感受性を少しでも失わないで育っていって欲しい。

 

ただ「ダメ」と禁止するのではなく、「こうだから、そうしないで欲しい」と伝えたい。その子の心に「禁止」という制限をかけるのではなく、「こうしたら、こうで、こんな風に誰かが嫌なんだ」という新たな見方を、とっても素敵でつややかでみずみずしい心にプラスしていくように、育っていって欲しい。

 

  

私はいつ、自分の子と出逢えるんだろう。

その日がいつでも待ち遠しい。